相撲のまちの始まり「乙亥大相撲」
野村に暮らす人は、十二月ではなく、ある相撲が終わったときに「今年も終わった」と感じます。その相撲の名を、乙亥大相撲(おといおおずもう)といいます。なぜ、ひとつの相撲が町の一年を締めくくるのか。その始まりには、百七十年あまり前の、一つの火事がありました。
火事から、始まった
嘉永五年(一八五二年)の夏、伊予国・野村で大きな火事が起こりました。焼けた民家は、百戸。小さな町にとって、それはあまりに大きな痛手でした。
人々は、二度とこんな災いが起きないようにと祈りました。同じ年の秋、火を鎮め、町を守る願いを込めて、三嶋神社の境内に愛宕神社を建立。そして、向こう百年にわたって相撲を奉納することを誓ったのです。これが、乙亥大相撲の始まりでした。創設者は、緒方惟貞(おがたこれさだ)。
「乙亥」という名は、その奉納を始めた日――暦の上の乙亥(きのとい)の日――に由来しています。
百年の約束、そしてその先へ
奉納されたのは、「三十三番結びの相撲」。
驚くべきは、その後の歩みです。戦争があっても、災害が起きても、疫病が流行っても、この相撲は一度も中止されませんでした。そして一九五二年、最初の奉納から数えて百年――「結願(けちがん)」を迎えます。百年の約束は、果たされたのです。
けれど、町はそこで終わらせませんでした。結願ののちも、乙亥大相撲は続けられ、今日まで途切れることなく受け継がれています。
地域の威信を、かけて
かつての乙亥は、野村を東西に分けた対抗戦でした。
東と西、それぞれの地区の有力者が、強い力士を探し出し、寝食を与えて面倒を見て、この日のために出場させた。地区の名にかけて勝ちにいく――そこには、地域の威信が懸かっていました。中には、プロの力士の姿もあったといいます。それほどに、本気の相撲だったのです。
今に続く、日本でただひとつのかたち
その熱は、今も受け継がれています。
現在の乙亥大相撲は、小学生から一般・青年の部までが地区対抗で土俵に上がるほか、なんと――プロとアマチュアが同じ土俵で対戦する、日本で唯一の相撲行事になっています。
子どもからプロまでが、ひとつの土俵で真剣勝負を繰り広げる。こんな相撲は、ほかにありません。
乙亥が終われば、一年が終わる
だからこそ、野村の人にとって乙亥は特別です。
この相撲が終わると、「ああ、今年も終わったな」と、町じゅうがどこか一区切りつく。カレンダーの十二月ではなく、乙亥の土俵が、この町の一年を締めくくるのです。
火事の祈りから始まった相撲が、百七十年あまりの時を超えて、今も町の時間を刻んでいる――。
この土地には、人々が大切に守り、めぐらせてきた営みが、確かに息づいています。
ZEROSPHERE / ゼロの番人