なぜ今、養蚕なのか
かつて日本には、220万を超える養蚕の家がありました。今、その数は110数戸。一万分の一以下です。なぜ今、私はこの消えゆく営みに、あえて手をかけるのか——その理由を書いておきたいと思います。
神話の時代から、糸はあった
養蚕の歴史は、驚くほど古い。
『古事記』には、殺された女神の頭から蚕が生まれたという一節があります。『日本書紀』にも、蚕にまつわる記述が残されている。つまり養蚕は、日本という国の成り立ちの物語に、すでに織り込まれていたのです。
その糸は、宮中にも受け継がれてきました。歴代の皇后さまがみずから蚕を育てる「御養蚕」は、明治から今日まで途切れずに続いています。蚕を飼うという営みは、それほど深く、この国の文化に根を張ってきました。
日本を支えた「純白の糸」
養蚕が文化にとどまらなかったのは、明治からです。
生糸は、近代日本の最大の輸出品でした。海を渡って外貨を稼ぎ、その富が国の近代化を支えた。富岡製糸場が世界遺産になったのも、この糸がかつて日本の背骨だった証です。
最も盛んだった頃、養蚕を営む家は全国で220万世帯を超えていました。桑畑はどこの村にもあり、初夏になれば家じゅうが蚕の世話に追われた。蚕は「おかいこさま」と敬われ、人々の暮らしのすぐ隣にいたのです。
そして今、110数戸
その220万が、今や110数戸。
数字にすれば、一万分の一以下。かつて日本中にあった営みが、ほぼ消えかけています。
衰退の理由は、ひとつではありません。
・海外との価格競争 ―― 安い輸入生糸の前に、国産は太刀打ちできなくなった
・高齢化による担い手不足 ―― 技術を持つ人が減り、継ぐ人がいない
・生活様式の変容 ―― 着物を日常で着る人が減り、絹の出番が減った
・化学繊維の普及 ―― 安価で扱いやすい素材が、絹に取って代わった
どれも、ひとつの力では止めようのない大きな流れでした。そうして養蚕は、静かに数を減らしていったのです。
このまま、消えてしまうのか
正直に言えば、放っておけば消えます。
担い手がいなくなれば、技術も、桑畑も、道具も、それを語る言葉も、一緒に失われる。一度途切れた営みを元に戻すのは、想像以上に難しい。
でも――本当に、このまま終わらせていいのでしょうか。
神話の時代から続き、日本の近代を支え、人々が「おかいこさま」と呼んで大切にしてきたもの。それが、私たちの代でぷつりと途切れてしまう。そう考えると、どうしても見過ごせなかったのです。
「シルクとミルクのまち」野村で
私たちが暮らす愛媛・西予市の野村町は、かつて「シルクとミルクのまち」と呼ばれていました。
養蚕(シルク)と酪農(ミルク)。この土地は、糸と乳で人々の暮らしを立ててきた町です。今もその記憶は、確かに残っています。
まだ、灯は消えていない。
桑を植えられる土地があり、技術を知る人がいて、繭の美しさを覚えている町がある。完全にゼロになるその手前で、もう一度手をかけることが、まだできるのです。
なぜ今、養蚕なのか
だから、今なのです。
このままあと十年、誰も何もしなければ、本当にゼロになる。だからこそ、消えかけている今この瞬間にこそ、始める意味がある。一万分の一にまで減った営みを、もう一度この土地で回し始める――それは、ただ昔に戻ることではありません。
神話から続いてきた一本の糸を、次の時代へつなぎ直すこと。それが、ZEROSPHEREが「養蚕」から始める理由です。
このジャーナルでは、その挑戦の一部始終を、繭の手ざわりごと綴っていきます。どうぞ、見届けてください。
ZEROSPHERE / ゼロの番人