さしあい ― 野村の結束力は、酒宴に宿る
野村というまちを語るうえで、どうしても欠かせないものがあります。それは――「酒」です。
こう書くと眉をひそめる方もいるかもしれません。でも、もう少しだけお付き合いください。野村の「結束力」の秘密は、じつはここにあると、私は思っているのです。
野村の、結束力
野村の人は、結束力がある。よくそう言われます。
地域のさまざまなイベントには、驚くほど多くの人が集まり、住民みずからの力で盛り上げていく。誰かに「やらされる」のではなく、自分たちで楽しんで作り上げる。その空気が、この町にはあります。
では、その結束力は、どこから来ているのでしょうか。
背中と、酒宴
ひとつは、先輩たちが見せてくれた「背中」だと思います。歴史や伝統を、言葉ではなく姿で受け継がせてくれた人たちがいた。
そしてもうひとつ――年の差に関係なく、みんなが楽しめる「酒宴」の存在です。世代を超えて同じ場で笑い合う時間が、人と人を結びつけてきました。
その酒宴に、野村ならではの作法があります。「さしあい」です。
「さしあい」とは
さしあいは、こんなふうに行われます。
まず、自分の持っているグラスを飲み干す。そして、空いたそのグラスを相手に手渡し、お酒を注ぐ。お酒は、ビールでも日本酒でも焼酎でも、なんでも構いません。注がれた相手は、それを飲み干して、グラスを返す――。この一連のやりとりを、野村では「さしあい」と呼びます。
たかが酒の注ぎ合い、と思うなかれ。さしあいは、あいさつであり、礼儀であり、そして会話のきっかけでもあるのです。グラスひとつが行き交うあいだに、自然と距離が縮まっていく。
ちなみに昔は、ちゃんと「ささない」と、先輩からこっぴどく怒られたものでした(笑)。
時代と、さしあい
もちろん、今の時代にそのまま、とはいきません。
個人主義が進み、コンプライアンスが重んじられるなかで、「さしあい」は時代遅れに映るかもしれません。実際、お酒を飲まない人、苦手な人に無理強いするのは、もう論外です。今は、飲まない人・嫌がる人には、ささない。それが当たり前のマナーになっています。
それでも――私は確信しています。この「さしあい」や酒宴こそが、野村の結束力を育ててきた源なのだと。効率では測れない、人と人の濃いつながりが、あの一杯のやりとりの中に宿っているのです。
よそから来た人も、仲間に
さしあいは、地元の人だけのものではありません。
観光で訪れた人、ほかの地域から滞在している人とも、一緒に飲めば、さしあいをして関係を深めていく。グラスが行き交ううちに、「よそ者」が、いつのまにか「仲間」になっている。野村には、そんな懐の深さがあります。
濃いつながりを、求める人へ
都会の、軽くて希薄なつながりではなく、もっと濃い、人と人の交わりを求めている――。もしそんな方がいたら、ぜひ一度、野村で「さしあい」を経験してみてください。
グラスひとつから始まる、深い交流が待っています。
……ただし、飲みすぎには、くれぐれもご注意を。さしあいは、自己責任で(笑)。
個人がばらばらになりがちな時代だからこそ、こうして人と人が濃く結びつく文化は、地域の宝だと思います。
ゼロの番人として、私はこの「さしあい」の心――無理強いはしない、けれど、まっすぐ向き合って交わる――を、かたちを変えながらでも、次の世代へ残していきたいと思っています。
ZEROSPHERE / ゼロの番人