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地域づくり / Community
2026.06.30 — 地域づくり

自分たちの地域は、自分たちの手で ― のむら自治振のこと

ZEROSPHEREは、けっして一人や一団体だけで成り立っているわけではありません。この地域には、同じように「野村を良くしたい」と動いている団体や法人がいくつもあり、私たちはその輪の中で活動しています。

今回は、そのなかのひとつ――「野村地域自治振興協議会」、通称「のむら自治振」を紹介します。

「自分たちの地域は、自分たちの手で」

のむら自治振が生まれたのは、平成二十三年(二〇一一年)のことです。

背景には、西予市の大きな方針がありました。「自分たちの地域は、自分たちの手で」――行政が上から引っ張るのではなく、地域が主役となって地域づくりを進めていく。その考えのもと、市内を小学校区の単位で二十七に分け、それぞれを支援していくことになったのです。こうして、野村小学校区に誕生したのが、のむら自治振でした。

ひとくちに小学校区といっても、その規模はさまざまです。市内には人口八十人ほどの地区から、八千人を超える地区まである。そのなかで野村地域は、当時およそ四千五百人。市内で二番目に人口の多い、大きな地区でした。

むらおこしから、地域づくりへ

のむら自治振ができる前から、この地域に「地域づくり」がなかったわけではありません。当時は「むらおこし活動」と呼ばれ、地域のなかでも農友会、町地区、川東地区、愛農地区――それぞれの地区が、独自にむらおこしに取り組んでいました。

のむら自治振は、その別々の活動を「ひとつにまとめて」進めていこうという試みでした。とはいえ、結成したからといって、すぐにひとつになれるわけではありません。結成後も各地区のむらおこし活動はそれぞれに続いていて、当初はまとまりも少なく、ずいぶん大変だったと聞いています。

転機は、平成二十八年

そんなのむら自治振が大きく変わったのが、平成二十八年(二〇一六年)でした。

きっかけは、お金の仕組みの変化です。それまで西予市の地域づくり交付金は、地域の規模に応じた「定額」でした。ところが、その定額分が減額され、減らされたぶんが「プレゼン型(手上げ方式)」――自分たちでやりたいことを提案して獲得する形に変わったのです。

ただ待っていれば同じだけお金が来る時代から、自分たちのやりたいことにコミットして、積極的に動いていく時代へ。のむら自治振は、前へ進む必要に迫られました。

三つの部会で、動き出す

その流れに先んじて、平成二十七年(二〇一五年)、のむら自治振は組織を大きく改革します。

それまでは、地域のむらおこし団体などの代表が役員を務める形でした。そこに新たに、「資源施設部会」「交流部会」「情報研修部会」という三つの部会を立ち上げ、それぞれの部会が、その役割に応じた地域づくり活動を担うようにしたのです。役割を分けたことで、一人ひとりが動きやすくなりました。

特色ある活動の数々

こうして体制を整えたのむら自治振は、平成二十八年以降、ぐっと個性的な活動を展開していきます。

音楽イベント、林業の活性化、高校生のための地域塾、コミュニティカフェの運営――。「地域づくり」と聞いてイメージするより、ずっと多彩で、前向きな取り組みばかりです。野村という町が持つ可能性を、一つひとつかたちにしていく。そんな活動が、今も続いています。

じつは、ZEROSPHEREのメンバーは、こののむら自治振の活動も兼ねています。

養蚕や狩猟、相撲――ZEROSPHEREとして向き合っているテーマも、突き詰めれば「野村を元気にしたい」という一点でつながっています。だから私たちは、のむら自治振の一員としても汗を流し、地域の盛り上げに貢献しているのです。

地域は、誰か一人の力で守れるものではありません。たくさんの人、たくさんの団体が、それぞれの持ち場で力を出し合って、はじめて前へ進んでいく。

ゼロの番人として、私はこれからも、のむら自治振をはじめとする地域の仲間たちと手を取り合いながら、野村の未来をつないでいきたいと思っています。

ZEROSPHERE / ゼロの番人

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