ZEROSPHEREJOURNAL ← 一覧へ
相撲 / Sumo
2026.07.09 — 相撲

一本のまわしに、組の誇り ― 乙亥の化粧まわし

力士が土俵入りで腰に下げる、あの豪華絢爛な前掛け――化粧まわし。じつは乙亥相撲には、明治の昔につくられた化粧まわしが、今も残されています。一枚いちまいに、当時の人々の"乙亥にかける熱"が、そのまま封じ込められているのです。

各組が競って、つくった

化粧まわしがつくられたのは、一八八九年(明治二十二年)。乙亥相撲が地域の行事として定着し、人気も高まっていた頃のことです。

野村の町組・横山忠作の発起により、野村十一組と緒方本家によって、計十二本の化粧まわしがつくられました。

背景には、時代の大きな節目がありました。一八八八年(明治二十一年)に市町村制が公布され、一八九〇年(明治二十三年)に実施される。合併を前にして、各組がそれぞれの組の名誉をかけて、まわしの作成にあたったのではないか――そう伝えられています。

つまりこの化粧まわしは、「わが組」の誇りをかけた、競い合いの証。緋色の地に金糸の龍、黒地に舞う虎……その一本いっぽんに、負けられないという気迫がにじんでいます。

一番強い者が、四股名を継ぐ

熱を注いだのは、まわしだけではありません。

各部落では、その集落で一番強い者が、代々の「四股名(しこな)」を受け継いでいたといいます。石ヶ嶽、櫻嶽、荒尾浪、氏見川……。名は、ただの呼び名ではありません。それは、組の強さの象徴であり、受け継ぐ者の誇りでもあったのです。

まわしをつくり、名を継ぐ。乙亥は、地域そのものが本気でぶつかり合う、一年でいちばんの晴れ舞台だったのでしょう。

今に、残る

現存する化粧まわしは、十本。

まわしは各組の所有であり、「各組で保管すること」が、収められた箱に記されているそうです。それだけ、大切に扱われてきた証です。

現在は、野村町観光協会が管理し、シルク博物館にて保管されています。百三十年を超えて、明治の職人の技と、各組の誇りが、今も色あせずに残っている――。見ていると、時代を超えて、あの頃の熱気が伝わってくるようです。

まわしをつくり、名を継ぎ、その一切を守り伝えてきた人々がいる。ゼロの番人として、私はこの一本いっぽんに込められた想いを、次の世代へつないでいきたいと思います。

(参考・出典:米田誉三 著『乙亥相撲と化粧まわし』)

ZEROSPHERE / ゼロの番人

関連する記事