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相撲 / Sumo
2026.08.10 — 相撲

土俵に響く、四十年の音 ― 乙亥太鼓

前回、触れ太鼓の話を書きました。今日はもうひとつの太鼓——乙亥太鼓(おといだいこ)についてです。乙亥大相撲を支える人々の、大切な一組です。

昭和61年、二つの曲が生まれた

乙亥太鼓が誕生したのは、昭和61年(1986年)。

岐阜県関市の「関刀鼓(せきとうこ)太鼓研究会」によって、「乙亥太鼓」が作曲されました。そして同時に、女性演者のための曲「シルク太鼓」も作られています。絹のまち・野村らしい、美しい名前の一曲です。

わざわざ岐阜から曲を書き下ろしてもらう——それだけの本気度で、この太鼓は始まりました。そして同じ年、乙亥太鼓保存会が結成されます。

きっかけは、青年祭りの一夜

では、なぜ太鼓だったのか。きっかけは、ある一夜の出来事でした。

青年祭りで、青年団が太鼓を披露したのです。その音を聴いて、「これだ」と思った人がいました。のちに保存会の初代会長となる、兵頭猛希(ひょうどう たけき)氏です。

「乙亥大相撲を、この太鼓で盛り上げよう」——兵頭氏は中心となって青年団に働きかけ、太鼓の導入へと動き出しました。一人の「やってみよう」が、四十年続く伝統の始まりだったのです。

同級生たちが、お金を出し合った

とはいえ、太鼓は決して安いものではありません。

資金は、野村町からの助成金に加えて——兵頭氏の同級生の有志から寄付を募って集められました。そうして購入されたのが、太鼓6台です。

町の助成だけでなく、仲間が身銭を切って支えた。この事実に、当時の熱量が表れています。「あいつがやるなら」と財布を開いた同級生たちがいたからこそ、今の乙亥太鼓があるのです。

土俵に響く音、そして次の世代へ

以来、乙亥太鼓は乙亥大相撲の土俵で演奏されてきました。写真をご覧ください。赤い法被に身を包んだ演者が、土俵の上にずらりと並ぶ。あの荘厳な吊り屋根の下で打ち鳴らされる太鼓の音は、会場の空気を一気に引き締めます。

活動は、土俵の上だけではありません。地区内外のイベントにも積極的に参加し、野村の音を各地に届けています。

そして——子どもたちへの継承も。昭和の写真には「乙亥太鼓伝承サークル 発足式」の看板と、バチを手にした小中学生の姿が写っています。この子たちが大人になり、今また土俵で叩いている。四十年の時間が、そうやってつながってきたのです。

太鼓が結んだ、海の向こうとの縁

さらに驚くのは——太鼓のご縁で、アメリカの団体ともつながりがあるということ。太鼓を通じた国際交流まで行われているのです。

岐阜から生まれた曲が、野村の土俵に響き、やがて海を越えて人をつなぐ。一人の思いつきから始まったものが、こんなにも広がっていく。絹が女王の戴冠式へ渡ったように、野村のものは、思いがけないところまで届くのかもしれません。

今年の11月も、あの土俵に、乙亥太鼓が響きます。

ZEROSPHERE / ゼロの番人

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