動く、昭和の絹 ― 11分のフィルムに残された野村
一本のフィルムが、出てきた
カメリアの物語、製糸工場の女性たち——これまで、野村の絹の歴史を文字で書いてきました。
けれど、今回は違います。当時の映像が、残っていたのです。

「東宇和蚕糸の記録」。昭和期に撮影された8ミリフィルムをDVD化したもので、約11分間の記録映像です。モノクロの、少し粗い画面。けれどそこには——間違いなく、絹で栄えていた頃の野村が、動いています。
山あいの町と、桑畑
映像は、野村の風景から始まります。
山に囲まれた盆地に、家々が寄り添うように並ぶ。その間を流れる肱川。田んぼと、桑畑。高台から町を望むカットは、今の野村とほとんど変わらない地形なのに、そこに写る人々の営みは、まったく違う。
白い帽子をかぶった婦人が、桑畑で作業をしています。当時、この町の多くの家が養蚕をしていました。桑を育て、蚕を飼い、繭をつくる。それが日常だった時代です。
繭を、担ぐ
そして——繭が動き出します。

大きな白い袋が、次々と建物に運び込まれていく。繭俵です。男たちが肩に担ぎ、腰を落として運ぶ。積み上げられた袋の山。トラックの荷台にも、山盛りの繭。
野村組合製糸が設立される前、農家は繭を別のまちの市場まで運んで売っていました。馬車で、人力で、あるいは川を筏で。仲買人に買い叩かれ、収入は不安定だった——その悔しさから、自分たちの製糸工場をつくったのです。
映像に映るこの繭俵は、もう遠くへ運ばなくてよくなった繭。野村の工場で、野村の糸になる繭です。
繰糸機が、並ぶ
そして、この映像で最も心を打たれた場面。
製糸工場の内部です。
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広い工場の、両側にずらりと並ぶ繰糸機。その間の通路を、背広姿の二人が歩いていきます。機械の前には、白い糸が繰られている。奥のほうまで、機械の列が続いている——これが、カメリアの生糸が生まれた場所なのか、と。
そして、働く女性たちの姿。

カメラを見ずに、手元を見つめる横顔のアップ。最も多いときで250名、その多くが女性だったと書きましたが、その一人が、いま画面の中にいる。
名前も分からない。けれど確かに、この人の手が、野村の絹をつくっていた。
記録が残るということ

映像には、集会の場面や、大勢が集う様子も残っています。組合の会合でしょうか。この町が、絹という一つの産業で結ばれていた時代の、まぎれもない証拠です。
野村の製糸工場は1994年に閉鎖され、その光景は失われました。もし、この11分のフィルムがなかったら——あの繰糸機の音も、繭俵を担ぐ男たちの背中も、糸を繰る女性の横顔も、誰も見ることはできなかったのです。
記録するということの重みを、あらためて感じます。
撮ってくれた誰か。残してくれた誰か。その人たちのおかげで、私たちは今、動く昭和の野村を見ることができます。
いつか、この映像をもっと多くの人に見てもらえる形にしたい。そう思っています。
ZEROSPHERE / ゼロの番人