ZEROSPHEREJOURNAL ← 一覧へ
相撲 / Sumo
2026.07.21 — 相撲

関取が、うちに来る ― 乙亥の「お宿まわり」

相撲と、酒のまち

野村を語るとき、産業でいえばシルクとミルクのまちです。けれど——このブログを読んでくださっている方は、もうお気づきかもしれません。ここは、「相撲」と「酒」のまちでもあります。

思えば、相撲はもともと神事でした。そして神事に、酒は欠かせません。相撲と酒——この二つが野村でしっかり結びついているのは、案外、理にかなったことなのかもしれません。

乙亥の夜、それぞれの家で

乙亥大相撲は、野村で一番大きなイベントです。多くのお客さんが訪れ、もちろん一番の目当ては相撲の観戦。けれど、影の楽しみとして欠かせないものがありました。

お酒です。

昔から、乙亥のときにはそれぞれの家で宴席をつくり、親戚や友達、仕事仲間をもてなす習わしがありました。町じゅうの家に灯りがともり、あちこちで杯が交わされる。乙亥は、土俵の上だけの祭りではなかったのです。

そこへ、関取がやって来る

そして——その宴席に、本物の関取が現れる

これが「お宿まわり」です。商工会が、希望する家に関取や力士を訪問してもらう仕組みをつくり、それがやがて慣習として根づいていきました。2班に分かれ、多いときは各7軒を回ったといいます。

もちろん、関取や力士にはご祝儀が必要です。それでも、各家に関取が入っていくと——そこには、たいへんな盛り上がりが生まれました。

平成の熱狂

とりわけ熱かったのが、平成の相撲ブームの頃。

曙、若乃花、武双山。テレビで見ていた人気力士が、野村の家の座敷に座っている。その光景を想像してみてください。そして当時は、地元出身の玉春日(現・片男波親方)も、当然のようにお宿まわりをしていました。

ただ、現場は時間との戦いでした。持ち時間は限られているのに、写真、サイン、そして食事。人気力士ともなれば、どこへ行っても人が殺到します。「時間どおりに回るのは、本当に大変だった」——担当された方は、そう述懐されています。

関取が、一番食べたもの

面白い話があります。お宿で豪華な料理を並べても、関取衆は意外とがつがつ食べない。そんな中で、一番よく食べたのは——山芋だったそうです。

自然薯が珍しかったのでしょうか。刺身よりも、芋。海苔で巻いて三杯酢につけて出す家もあったといいます。土俵の上で見上げるばかりの大きな体が、山あいの町の芋を喜んで食べている。なんだか、いい光景です。

一年の稼ぎを、この二日に

昔は、「一年で稼いだお金を、乙亥につぎ込んだ」という話があるほどでした。相撲と酒の場には、金銭を惜しまない。それが野村の気質だったのです。豪快、というほかありません。

お宿まわりは、今も続いています。ただ、受け入れる家は、昔ほど多くはなくなりました。

それでも——「うちに関取が来た」。その記憶は、迎えた家の中に、いつまでも残り続けます。乙亥の夜が、ただの祭りではなかった証として。

ZEROSPHERE / ゼロの番人

関連する記事