「土俵ばかり作ってました」― 乙亥を支えた人たち
二日間の、その裏側

乙亥大相撲といえば、注目されるのは開催の二日間です。土俵の上の熱戦、沸き上がる歓声。けれどその二日のために、どれだけの準備がされてきたかは、あまり語られてきませんでした。
今回は、乙亥会館ができる以前——会場づくりに光を当ててみます。
田んぼが、土俵になる

乙亥の会場は、何度も場所を移してきました。緒方酒造の横、町公会堂、児童館前。
しかしその場所は、普段はただの田んぼだったり、駐車場だったりします。そこに一から土俵を築き、観覧席をつくる。それが会場づくりでした。
桟敷席は、ただ板を並べるのではありません。相撲観戦ですから、後ろの人にも見えるように斜めにしていく。きちんと下に土台を組み、ベニヤ板を張って、客席をつくり上げていきます。
土俵も同じです。土台を組み、麻袋を張って、その上から土をかぶせて叩き固める。俵は使い回しでも、土は毎年新しいものを運んできたといいます。
丸四日と、七日間

その作業を担ったのは、毎年ほぼ同じ顔ぶれでした。人数にして、わずか6〜7人。
かかった日数は——
- 桟敷席:丸四日
- 土俵:七日
たった数人で、十日以上。しかも児童館前で開催していた頃は、サーカスの大型テントが張られ、その中で作業をしました。テント自体は、作業に入る一週間前に設置されます。この設営は商工会青年部が中心となり、役場の職員も協力していました。
つまり乙亥の二日間の裏には、半月近い作業が積み重なっていたのです。
雪の中で

写真に残る一枚に、1996年(平成8年)12月1日の記録があります。フォルダの名は「特設会場設営&除雪」。
そう、雪です。テントに雪が積もれば、その重みが危ない。当時は消火栓から消防のホースを引いて、雪を溶かしたという証言も残っています。強風でテントの支柱が振り回されたこともありました。
寒空の下、雪をかき、土を叩き、板を張る。そこまでして、乙亥は守られてきたのです。
「土俵ばかり作ってました」

インタビューで、印象に残った言葉があります。
土俵づくりに携わった方に「ご自身は乙亥に出場されたんですか」と尋ねたとき、返ってきたのはこんな答えでした。
「乙亥は出てない。いい後継者や先輩がいるから(笑)。土俵ばかり作ってました」
土俵の上に立つことはない。それでも毎年、その土俵をつくり続けた人がいる。
そして忘れてはいけないのが——これらの作業は、長らくボランティアだったということです。のちに単価が上がり、入札で業者が担うようになりましたが、それまでは町の人たちが、自らの手で会場をつくっていました。
支える人が、いるということ
乙亥大相撲の二日間があれほど盛り上がるのは、こうした方々の下支えがあったからです。
土俵を築く人、テントを張る人、竹を切る人、寄付を集める人、料理をこしらえる人。170年続いてきた祭りは、土俵の上の力士だけでつくられてきたのではありません。
これからも、乙亥を支えてきた人たちのことを、少しずつ書き残していきたいと思います。
ZEROSPHERE / ゼロの番人